まなび、かく、ブログ。

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引っ越し歴20回・・・自分史上最高の部屋は?

今週のお題「わたしの部屋」

 

<日当たり一択で選んだ、大学時代の思い出の部屋>

 

このお題を見て真っ先に浮かんだのは、

今住んでいる部屋のことではなく、

学生時代の後半2年間住んだ部屋のことだった。

 

そもそも、父親の仕事の都合で、

幼少期から何度も引っ越しを経験してきた。

小学校は5つ。

約1.2年ごとに転校していくのだから、

不思議がられた。

キャプテン翼の「岬くん」のように、

父親は画家だ、とからかわれたこともある。

ちなみに父親は画家ではなく、

また私は画家を尊敬している。

 

大学進学とともに、

東北から横浜へでて、一人暮らしを始めた。

 

最初の部屋探しは、

母親と一緒に行ったのだが、

これが大失敗。

引っ越し歴の多い大ベテランのはずの母親も、

息子の横浜生活に対し、変なプレッシャーで浮足立っていたのかな?

 

日当たり悪い1階、人通りの少ない狭い路地内・・・

と悪条件の宝庫で、

コープが徒歩1分という利便性をのぞき、

総じて悪い物件だった。

なんせ、日中の日照がほぼ皆無。

虫嫌いはここで一気に加速する。

 

そんな場所で2年間過ごし、限界が来た。

日当たりが欲しい、日当たりが!

 

日当たりに圧倒的に飢えていた。

日当たり欠乏症だ。

2年間の欠乏症の反動だろう。

 

駆け込んだアパマンショップで第一声、

「日当たり一択でお願いします」

担当の若い女性は、絵にかいたような苦笑をしていた。

苦笑の正確な意味を、ここで知った。

 

苦笑の女性はそれでも、

「ここで扱っているなかでもとびっきり日当たりのよい部屋」

を見事紹介してくれた。

その物件こそが、

引っ越しマスターのわたしをうならせた「自分史上最高の部屋」

となった。

 

朝日、日中、夕日

がそれぞれの窓から抜群に入ってきた。

冷房代がかさんだが、それ以上に

朝から晩まで太陽を感じられた。

自然と、友人が訪ねてくる回数が増えた。

明るい音楽を流すようになり、

自炊の頻度が増え、

サッカー部の練習にも身が入った。

そして彼女もできた。

 

ついでについでに、

徒歩3分で「自分史上最高」のラーメン屋もあり、

週5で通った。

今もその部屋とセットで、あのラーメンの味が

口内で再現される。そのたび幸せな気分になる。

分かるでしょう?そういう気持ち。

 

「太陽」は人に欠かせない。

古く原始時代から遺伝子レベルでプログラムされているのかな。

はたまた2年間押し込んだ日照への強い願望の反動が、

何かを開花させたのかな。

 

日照権を求め争う人がいるという。

ふうん、そんなものか。と思って傍観していた。

だけど、その気持ちがそれ以来よく分かる。

 

日照は人生に必要。

日照の不足はボディブロウのように

心に蓄積し、

人は激しく日照をも渇望するいきもの。

 

ああ、あのラーメンが、また食べたい。